2008年10月7日火曜日

仕事

求職中・夫の両親と同居。保育園に入れる気がしないので、
夫にせがれくんを見てもらって、10月から土日に働くことにした。
土曜日は午前中3時間、保育園。
日曜は9時から18時みっちりの児童館。

そんなわけで、9月は毎日、母乳以外NGのせがれくんに
「お願いしますよー。哺乳瓶からのんでくださいよー」と頭を下げてきたが、
カミカミするばかりで一滴でも口に入ると、せがれくんは
眉間にシワを寄せて「ぷぴゅる~」と吐き出すのであった。

受け付けてもらえぬまま、10月を迎え、初出勤の4日が迫る。
どうしよう。。無謀だったかな。と頭がいっぱい。
後追いが始まったら、お互いつらい気がしたから、
今からちょっとずつ、って思ったんだけど。

最後の手段。
その1、NUKを買ってみた。
その2、寝る前に、
「せがれくん。母は土日にお仕事に行くの。
帰ってくるまでは、パパの作ったミルクを飲んでね。お願いね。」
と、真剣に目を見てお願いしてみた。

NUK、どの哺乳瓶もダメだった子でも、NUKならOKだった!って
話を聞いたことがあって。
ワクワクしながら使ってみたけど、
やっぱりせがれくんはカミカミするばかり。

ごめんね、母の都合で。母のおっぱい一筋でいてくれることは、
嬉しいことなんだけど。

あとはお願いするしかない。
そしてついに迎えた土曜日。

なんと、せがれくんはすんなりミルクを飲んでくれた。
帰り道に夫から報告を聞く。よかった~。
日曜も、ちゃんと飲んでくれた。
そして、夫と仲良くお留守番していてくれた。

せがれくん、夫、ありがとう~。
夫やお姑はNUKが良かった、という結論になったけど、
母はやっぱりお願いしたからなんじゃないかと思う。
せがれくん、天才。

児童館の仕事は一応3月までで更新しない予定なんだけど、
保育園入れなかったら続けようかな。なかなか楽しいし。

お金を貯めて、来年のお姑の還暦は盛大にお祝いするのだ!

2008年9月26日金曜日

ベビーサイン

児童館の、ベビーサイン教室に行ってみた。

ビデオで、実際にベビーサインを実践する赤ちゃんを初めて見た。
まるで手話のよう。すごおい。
「ミルク」「もっと」「痛い」「だっこ」、、
赤ちゃんが、手をヒラヒラ、クイクイと動かして訴える。すごおい。

せがれくん、やってみる?、、必要、、?
なんだか、サイン使わなくても、分かるような気もするんだけど。
ベビーサインをマスターするころには、喋れる気もするんだけど。
言葉で伝えようとする意欲やもどかしさが大事な気もするんだけど。

これだけメジャーになったからには奥が深いのかもしれないけど
あまりツボじゃなかったなあ。

2008年9月25日木曜日

突発性発疹。





















10月から、土曜日の朝、3時間ほど保育園でパートすることにした。
水曜に実習に行ったら、早速ウイルスを持ち帰ってしまったみたい。

土曜、せがれくんお熱デビュー。
37℃7分。本人はいたって元気できゃほきゃほしてたので、
だから病院は行かずに様子見。
おしりとおちんちん周りに赤いぽつぽつ。
突発性って、熱が下がってから全身に出るんじゃなかったっけ?

とにかくせがれくんは元気できゃほきゃほしてたので、
やっぱりそのまま様子見。
翌日になると、熱は下がり、ぽつぽつが全身に。
やっぱり突発性だったんだ。

これから母はウイルスを持って帰りまくるよ。
いつかは通る途なので、がんばろうね。
ウイルスやっつけて、つよいこになってね。

これからの人生、ただただ、健康でいてくれればそれで良し。

2008年8月22日金曜日

おっぱい

1人でおもちゃに没頭する時間が増えたせがれくん。
手の届く範囲におもちゃをあれこれと置いてやる。














木のおもちゃ。ビーズやチェーンを入れたペットボトル。
オーボール。カシャカシャ音のする布おもちゃ。

重いの、軽いの、固いの、やわらかいの、
カタカタ鳴るもの、チャカチャカ鳴るもの、
ゆっくり動くもの、早く動くもの。
とっかえひっかえ。

なめて見つめて話しかけて遊ぶせがれくん。

ついつい、
ギラリー・スクエア、カレロ、クーゲルンばかり
高かったんだからもっとコレで遊んでモトをとれ!
とグイっと押し付けたくなる気持ちを抑えて見守る。

そんなせがれくん、いまだおっぱい以外NGを貫く。
哺乳瓶もスプーンもキライ。

離乳食始めるまで必要ないみたいだけど、
汗もかなりかいてる今日この頃だし、
お水くらいは飲めるといいんだけど、、と思って、
湯冷ましを入れた哺乳瓶をおもちゃに紛れさせてみた。

お!くわえたっ。 「ちゅぴ」飲んだ!











・・・「ゴエっ」。

もう5ヶ月も半分が過ぎて。
せがれくんの準備ができたら、離乳食をはじめて、
おっぱい卒業に向けて進めて行ってあげなきゃね。

やっとおっぱいが出てくると、笑顔で手をバタバタするのとか、
つい「アニュアニュアニュ」と声が出てしまうのとか、
飲みながらじっと私を見て、突然「アハ~」と
口の端からおっぱいを流しながら満面の笑顔で笑うのとか、
「ぽ」と乳首を離してウトウトするまんぷく顔とか。









私のおっぱいで、こんなに幸せになってくれる、いとしい人。

しばしば、授乳中に「ぬおお~!かわゆいっつ」と錯乱しそうになる。

このひと時があれば、
カレーもキムチもビールもワインもチューハイもいらない。

まだまだ乳離れされたくない母だけど。
1歳過ぎた頃、暖かくなった頃に自然にバイバイできるのが目標。
きっと私が辛いから、今から少しずつ、心の準備してかなくちゃ。
寂しいなあ。

でも、おっぱいを卒業したときには、
そのぶんたくさんブッチュブッチュむぎゅむぎゅ。

いつか、一緒に二郎に行こうね。
私の麺、3分の2食べてね。

前髪

日に日に前髪の巻きが激しくなってきた。
うーん。キューピイ・ヘアー。



2008年8月18日月曜日

ねがえり

せがれくん、11日をもって生後5ヶ月に突入。早いわあ。
11日の朝、沐浴あがりに初寝返り成功。

それまでは、ちょっと体をひねってもすぐ戻って、
「寝返りしたってイミなくない?」みたいな感じで
やる気がなさそうに見えたせがれくん。

やるときにはやるんだね。母は感動した。

今月あたまに、宇和島に嫁いだ友が里帰りしてきたので、
もう1人江東区の友と、元同期の仲良し3人が家族で集まった。
宇和島の友が里帰りするこの時期に毎年集まっているけど、
今年はとうとう3人全員が子連れとなった。ぐっとにぎやか。

うち以外、女子3名(5歳・2歳・11ヶ月)。

江東区・宇和島の友から
あまり泣かなくておとなしいね+たまに存在消してる
=癒し系と評価を頂戴したせがれくん。

いちおう、「あっきゃらぱー」言ってみたり、
「えうー」泣いてみたりもしてたんだけども、
最終的に、今日は息を潜めとこう、と思ったみたい。

目の前では江東区の11ヶ月が宇和島の2歳からおもちゃを強奪。
逃げる2歳、追う11ヶ月。反撃する2歳、立ち向かう11ヶ月。
見かねた江東区パパが2歳を抱っこすると、
その足にしがみついて抗議する11ヶ月。

まるでミニ・アマゾネス。
せがれくん、来年は、こいつらにヤられるよ。

2008年8月3日日曜日

DPT副反応

赤くなったね。ドンマイ。

2008年8月2日土曜日

赤ちゃん球、栽培中。















よく、蚊と間違えられるけど、赤ちゃん球(だま) 。

夫が、見るたびに切りたがる。

もうちょっと大きくなるまで育てて、大切にとっておくつもりなのに。

毛玉ができるほど、ねんね時代なんて、ほんのわずか。

なんでこの価値がわからないかなあー                                               

小さな赤ちゃん布団の上、せがれくんは

ただ仰向けに寝転がっているように見えて

日々一生懸命感じて、吸収して、練習している。

最近せがれくんのお気に入りは、紙。                                              

ピザのチラシや、近頃バンバン届く教材のパンフレットといった

しっかりめの紙を、手でビリビリとフチを取り除いて側に置いてあげる。

手を伸ばしてつかまえる。にぎる。くしゃくしゃとこねる。なめる。

こねてなめて、もっとやっつける。

真剣。せがれくんにとっては、大事な練習で、特訓なのだ。

だんだん楽しくなってきて、

「わうわー」「うきょー」となんだか遠い世界へ行く頃。

ボロボロにほぐれてきたら、飲み込む前に回収。











ご苦労さまでした。

2008年7月1日火曜日

母になって1周年。

お腹にせがれくんが来たことを知った日から、
今日で1年が経った。









去年の今日、真っ暗な子宮の中の
4mmの小さな袋の中で、せがれくんが生きていた。
超音波の画像にひとつぶの白い点が映って
まるで宇宙の中の一つの星のように見えた。
私たちのところに来てくれたんだ!

この1年は、あの日からだんだんと赤ちゃんがやってくるワクワクに
日々弾みながら、親として、なんて話を夫とたくさんした気がする。
最後の恋人時代を惜しむような気持ちで、
たくさん夫に甘えて、好きって言って、くっついて過ごした。

そしてついに、
まるで空から降ってくるようにせがれくんが私たちのところにやってきた。
病院で過ごした6日間はひたすらふわふわと感動と幸せに包まれていた。

自分が生まれてから今までの全ての出来事も意味があるくらい
人生が丸ごとひっくり変わってしまって、
想像もしたことない甘い気持ちを知った。

毎日、何をしてても、すみからすみまで可愛くて、やわらかくて
心が奪われてとろけてしまう。
みんなが楽しくて幸せ。せがれくん、ありがとう。

これからたくさん走り回って、いたずらして、わんぱくして、
もりもり食べて、そのうち色気づいて
無愛想でふてくされてても、私には可愛くて愛しい。
いつかどんな青年になって、巣立っていくんだろう。
そのとき、ちゃんと背中を押してあげられるだろうか。

ずっと赤ちゃんでいて。
いつまでも離れずに抱っこして、
寝顔を見つめたまま今の時間が止まってほしい、
なんて願いも、矛盾してるけど。無理だから、ちょっぴり切ない。

かわいい。かわいい。
首がすわって、おむつのサイズも大きくなって、
せがれくんはぐんぐん育つ。
だから、毎日は本当に大切。

2008年6月22日日曜日

お食い初め

せがれくん生後103日め。

出産直前に、姉からお食い初めセットをもらった。
姪っ子たちのお下がりで、
ほんとは男の子用とは色や模様が違うみたいだけど、
「たいちゃん」と呼ばれてるせがれくんには鯛模様だし、ぴったり。

お舅がメニューを考えてお姑が腕をふるって作ってくれた。
















お赤飯、お吸い物、蓮根としめじの梅肉あえ、
豚角煮と芋茶巾とアスパラの炊き合わせ、
歯固めの石としわしわに長生きするように、って梅干、
鯛の姿焼き。



92歳のひいばあちゃんに、
ご飯、おつゆ、ご飯、魚、おつゆと、
順番にお箸で口にちょんちょんしてもらった。





お食い初めの儀式が終わったら、
鯛はあんかけを掛けられて
大人たちに平らげられてしまったのであった。

2008年6月15日日曜日

jitteriness


BCG接種から3日
赤みはだいぶ引いた。
これでひと安心。





そういえば。
先月のとある土曜の朝、寝ていたせがれくんが突然、
「キャー」と激しく泣いたので慌てて抱っこしたら、
泣き止んでご機嫌になったんだけど、
その後40分にわたって、全身がピクン、ブルッとなった。

しゃっくりと似てるけど違うのは、
胸がびくんとなるんではなくて全身がぴくんとするところ。
モロー反射のすごく小さい感じでピクンとして、ブルっとくる。

おっぱいを飲ませても止まらない。
途中、5分ほどしゃっくりと併発した。

熱なし、おっぱいごくごく、本人はにこにこよく喋る。
てんかんの類ではなさそうだけど、
心当たりがないので念のため診察すると
「原因はよくわからないけど、大丈夫そうです」とのことだった。

その後は一度もなくて、忘れてたけど
たまたま今ネット見てたら、
新生児期や乳児早期に見られる体の震えで、
「jitteriness」というのがあるそうで、それなのかもしれない。
すこし神経が過敏になっているときに起こるとのこと。

「ジッタリネス」?何て読むんだろう。

2008年6月14日土曜日

コッホ現象

BCGのあと、3日以内に発赤したらコッホ現象という旨説明されてたので
翌日赤くなってるのを見てビビった。
ネットで調べたところ、この赤みは注射針の刺激による赤みのよう。

普通は、大体2,3日以内に消えて、
10日めすぎからまた赤くなるとのこと。

コッホ現象の場合は、3日めあたりから強い反応と膿が出るそう。

どうやら、BCG接種の時に受ける説明はたいてい同じで、
「打ったすぐあとは注射の跡しか残らず、
3日以内に赤くなるとコッホの可能性あり」というもの。

ネットで検索したら、同じ心配をしてる人がたくさんいた。
ちゃんと、注射針で赤くなることもある、って教えてくれれば良いのに。

BCG接種の翌日。
針の跡と周り全体が赤くなった。






               
2日後。

だいぶ赤みが引いた。








2008年6月12日木曜日

3ヶ月検診の日

きのうでせがれくんは生後3ヶ月に突入。
汗ばむ今日このごろ、小さなあせもがぽちぽち。

去年の今日このごろにせがれくんを授かった。
あかちゃんが欲しくて、おととしから病院に通っていた。

去年の今朝、AIHを受けた。
病院からもらった容器の入った袋を大事に抱いて、
「産まれておいでね」って持っていった。

赤ちゃんがなかなか出来なかった原因は特にわからなくて、
だからAIHなのか、自然に授かったのかは100%は分からない。

とにかく、それだけ欲しくて待ちわびて授かった、ってこと
いつかわかってくれるかな。

命って尊い。
小さなこぶしにアッパーを喰らいながら、
日々しみじみと感じてる。

今日は3ヶ月検診。
そして先生に相談して、3種混合かBCGどっちか
予防接種も一緒にお願いしちゃう予定です。
痛くないといいね。

2008年6月1日日曜日

せがれくんへ

幸せを手に入れるんじゃない。

幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ。 by甲本ヒロト

2008年5月31日土曜日

凹んだ。。

昨日の夕方。
「わー う~」とごきげんで歌ってるせがれくんのおむつを、
ごきげんで替えたら、うんちに血がちょびちょび。
目を疑う。せがれくんは手足をばたばたしてニコニコしている。
、、、、、腸重積!? 

機嫌よくて熱無くて食欲もある。全身状態は良い。
でも血はヤバい気がする。いてもたってもいられず、
病院に電話してから救急外来へ。
私たちの心配をよそに、せがれくんはすやすや。

先生におむつを見せて診察してもらう。
「んー、大丈夫そうです。でも、一応悪いほうの可能性を見て
 レントゲン撮ってからカンチョウして便を見せてもらいますね」
ひいい。せがれくんはやっぱり私たちの心配をよそに、
お愛想をふりまく。

検査した結果、心配ないと。
先生からは病名は言われなかったけど、
落ち着いて色々調べたらどうも「リンパ濾胞(ろほう)増殖症」
というやつなようだ。

「リンパ濾胞(ろほう)増殖症」

母乳で育っている赤ちゃんに多くみられる良性の疾患。
大腸内のリンパ節が腫れて、
腸の粘膜に飛び出した状態のところへ便が通るときに擦れて出血。

大体はおよそ6ヶ月くらいで出血はほとんど無くなって、
その後変わりなく過ごすことができる。
本来は知らないうちに治ってしまう良性の疾患。

全身状態は良かったんだから、救急行く前に
もう少し落ち着いてちゃんと調べてみれば良かった。。
せがれくん、まだ小さいのにレントゲン受けさせちゃった。

母とお姑は、「大げさなくらいでいいのよ」
「見過ごすよりはいいのよ」と言ってくれたけど
レントゲンが気になって、
冷静に様子を見られなかったことに、やっぱり凹んだ。

私保育士だしなんて余裕の子育てを想像してたけど、
わが子のイレギュラーに、こんなにも弱いとは。

これから免疫もなくなって、こんなことがたくさんある。
いちいちアワアワすると体がもたないので、逞しくならねば。

2008年5月23日金曜日

山手線

近頃、せがれくんを連れて、
電車で一駅ふた駅程度の移動もするようになった。主に山手線。

こないだは、五反田の赤ちゃん本舗まで。
五反田駅にはエレベーターが設置されていないので、
ベビーカーでなく抱っこ紐での移動に挑戦してみた。

山手線、妊娠9ヶ月まで通勤で乗り続けてたけど、
一度も席を譲ってもらうことはなかったのだった。
別にしんどくなかったけど、
読書するOLとウォークマンで腕くみのサラリーマンが座る
優先席の前に立っちゃったりするとなんともわびしい思いがした。

だけど、抱っこ紐デビューしてみたら、
品川から赤ちゃん本舗までの道中で
若いマダム、中年の色黒ビジネスマン、中年のおばさんが
次々と席を譲ってくれた。
短い距離で申し訳なく、照れくさく、でも素直に気持ちが嬉しい。

気づいた。
妊婦って譲りにくいんだな。ひょっとして違ったら、って思うと。
たんに見て見ぬふりされてたわけじゃなかったんだろうな。
世の中、まだまだ捨てたもんじゃない。

なるべく大きな声できちんとありがとうを言おう。

アートメイク

おミニさん改めわがこ改めせがれくん。

今日は、夫にせがれくんとオムツと冷凍母乳を託して、
眉のアートメイクを入れに行った。
久しぶりの単独行動。手持ちぶたさでやたらと携帯をいじってしまう。
結構時間がかかるのは承知の上だけど、おっぱいはバリバリに張り
泣いてるせがれくんとてんてこまいな夫が浮かび罪悪感のひととき。

終わってすぐに店を飛び出して、夫に電話してみると、
「大丈夫だよー、それよりお腹すいたー何か買ってきて」
夫とせがれくんは見事4時間のお留守番を成し遂げた。感激。

駅前の成城石井でジャジャ麺を買ってくと、
家の前で夫がせがれくんを乗せたベビーカーとともにたたずんでいた。
なんてかわいくて愛しいおとこたち。

せがれくんは母の存在を感じ取り、わうわー!と怒り狂いだした。
だっこするとしがみついて、おっぱいをグビグビ飲んで安眠。

夫は、布オムツをこまめに替え、冷凍母乳を2度与え、
私がもうすぐ帰るタイミングでゆざましを飲ませ、
子守をしつつシーツを洗って干し、夕飯の支度をしてくれてた。
やさしさライセンス1級。

お留守番ありがとう。
当分わたしの眉毛は安泰です。

2008年5月14日水曜日

生後2ヶ月。













生後2ヶ月と3日。

今月5月は2日が夫の誕生日、3日が入籍4周年、5日がわがこの初節句、
10日が私の誕生日、11日が母の日&わがこの生後2ヶ月と、
「おめでとう」と「ありがとう」をやたら言い合った気がする。

去年のGWをやたらと思い出したりした。
地元の仲間と長瀞にキャンプに行ったんだった。
私たち夫婦と、全員彼女がいなかった男3人。

たったの1年で、私たちには赤ちゃんがいて、
男3人、うち2人結婚が決まり、もう1人にも彼女がいる。
ほんとうに1年て大きいって、またまた思う。
わがこが産まれてから何度もそう思う。

だから、毎日は同じようで大切なんだ。

わがこ、生後2ヶ月に入る3日前あたりから深夜おめざが1回減って、
こぶしチュバチュバ遊びを始め、おっぱいが増えて
目が合う時間と、おしゃべりが増えた。

名前をよぶと、「ホー」「オー」とニコニコしてお話しが始まる。
「アー」というと同じように「アー」と返ってくる。
なんて楽しくて幸せなひと時!

今日、夫が体重計に乗ってわがこの重さを測ったら、
6.5kg強。身長は60cm。やや大きいかな。

2008年5月4日日曜日

ばか発生中




姉からもらった「わらべうたで子育て」というCDつきの本がお気に入りだ。
遠野のヤエさんが、昔から伝わるわらべうたを語り伝えてくれる本。

そのなかのコラムで、遠野の古いことわざが紹介されている。
「わらしぁ、うまれるずど、その家さ、馬鹿ぁ3人出る」というもの。
大のおとなが赤ちゃん相手になりふりかまわず歌って遊ぶ様子を
表しているという。

まさに我が家も今、みんな馬鹿になっている。

ふと気づくと、わがこに向かって夫が「結婚してください!」
と叫んでいる。「なに馬鹿なこと、、」と突っ込みかけた私も、
「ああああ」と顔をうずめて「好きいい」とブチュブチュしてしまう。
「やめろお!」と夫が横からブチュブチュしてくる。

もちつキッスが止められない。
「おぼっちゃま君」のおとうちゃまの気持ちが分かってしまった私たち。
 
お姑とお舅は、目を離すとわがこを部屋に連れ去る。
一家がそろう夕食の時間にわがこを取り合う。
ラックでおとなしく眠っているときには物足りず、
ちょっとでも目を覚ませばほくほくと「どおれ」と抱きかかえては
「ほおれ、るーるるる」とわがこをあやす。

みんな毎日楽しくて幸せなのだ。

2008年4月24日木曜日

お宮参りも済んで。



わがこ、1ヶ月と13日
相変わらず、ぷくぷくと育っている。

ちょっとずつ外出もはじめた。

半年すぎまでスリングと抱っこ紐で頑張るつもりだったけど、
日に日に重くなるわがこ。

首がすわればもうちょっと抱っこしやすいのかもしれないけど、
腰とウデが早くもキツくなってベビーカーを購入。

ベビーカーのお散歩も、なかなか大変だ。
うちの周りは、治安は良くてもわがこには不便。
近くに児童館もないし、小さな暗い公園がちょぽっとあるだけで。

今までずっと都心が一番便利だと思ってたけど、
近頃は、これから大きくなってくわがこが、
毎日走り回って服がボロボロに汚れるまで遊べる環境に憧れる。

2008年4月5日土曜日

訪問指導。

区の、新生児自宅訪問指導サービスを希望して、
家に助産師さんが来てくれた。

健康状態を診てから、3時間ちかく 、
手取り足取りいろんなことを教えてもらった。

身体測定の結果、
わがこは1日に64グラムずつ増えており、
「久々の大ヒット」とほめていただく。
そして、栄養補助のつもりで1日1回、
60mlほど足していた粉ミルクをただちにやめるようにと。。

ちんちんを洗うときには、皮をできるだけむくように。
母乳は、13ヶ月あたりで再び初乳級の免疫を含んだ優れたやつがでてくる。
っていうのは初耳だった。
ああ、男の子。未知なり。

お風呂は父ちゃん担当にしよう。
母に秘密のおちんちんの話で、男同士楽しくやってくれ。

2008年4月4日金曜日

サバイバル新生児。










生後3週間と3日

退院して約2週間が過ぎた。

入院中は手足も梅干みたいにシワシワで張りがなく、
おっぱいがあまり出ないので、ぶどう糖水で空腹を満たしてた
やせっぽちなわがこがいじらしくて、おっぱい出ないのが切なかった。

退院後は、日中は夫がつきっきりで家事をして、
夕方はお姑がおっぱいに良い食事を用意してくれて、
そんな家族のフルサポートのおかげで寝不足感もなくやってこれたし、
みるみるおっぱいも出るようになって、
今やわがこは、しもぷくれ。 珠のような子、てこれね、と知る。

泣いても、うんちしても、げっぷしても寝ても起きても
小さくてぷりぷりしてて、クラっとくるくらいにかわいらしい。
にやりと笑うのも、指をキュッとするのも、びっくりしてびよよんとなるのも
1人じゃ生きてけない新生児が、
大人のこころを虜にして生き残るための原始反射。

神秘。

2008年3月20日木曜日

3月11日、パンダ発見の日。

3月11日、3155gでおミニさんが誕生。
おミニさんあらため、わがこをたいかんと名づけた。
パンダ発見の日に産まれた。

3月10日、誘発入院した。
先生からは「今日はまずなさそう。あさって産まれれば100点かな」
と言われたけど、夕方に破水してすぐに5分間隔の陣痛が始まった。

9時間後、夜中の2時31分に産まれた。

分娩台の上、過呼吸になって口にビニール袋でふさがれて、
たいたいが酸欠になって鼻にチューブをつけられて、
なかなか出てこないので点滴で陣痛誘発剤を足して、
最後は男の先生が馬乗りでお腹を押して
夫に頭を支えられながらいきんで、やっとわがこが出てきた。

肺呼吸が始まるのを確認してから臍の緒が切られ、
「アー!」と一言挨拶をしたあと、胸の上に置かれたわがこ。

血と羊水でびしょびしょの頭をなで、おでこに触れて
血まみれになりながらキスをした。忘れられない味。

後産の処理のあと、分娩台で2時間
わがこにおっぱいをくわえさせて過ごした。
夫と3人、疲れと、安堵と
今まで味わったことのない幸福な気分であふれた時間だった。

バースプランで希望したとおり、すぐに同室が始まり、
産後の興奮のなかで眠れず、うれしくて涙が止まらなかった。

これから、何があっても一番の味方でいよう。
守っていこう。一緒にいられる時間を大事にしよう。
かわいい。かわいい。ありがとう。
わがこを眺めながらそんなことを何度も思っていた。

それにしても痛かった。

2008年3月8日土曜日

いよいよ。


40w6d
ついに明日で41週に入る。
月曜日から入院、やっとやっと会える。

無事に元気に産まれておいで。

父ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、おばちゃん、おじちゃんになる人たち

みんな、母ちゃんになる私を応援してくれてて、
おミニを楽しみに待ってるからね。

2008年3月5日水曜日

最後の検診。

40w3d
ここのところ、5時にトイレで目が覚める。
そのおかげで昨日はDVDを見ながら早々と寝てしまった。
夫、ごめんね。ダウンタウンの、2003年の「笑ってはいけない」
途中まで一緒に爆笑してたのに。

今6時だ。
昨日の40週の検診。
途中、アジアンケバブを買って、病院の前の公園で食べた。
昨日は、陣痛室は私たちだけで静かだった。
NSTの心音も、ばっちり録音できた。

ウトウトしてたら、助産師さんがグラフの様子を見に来て、
「赤ちゃんが寝ちゃってるのでちょっと刺激で起こしますねー」と
おなかにブー!っとくる機械を当てた。当てたところがギューっときて、
150前後だった心拍が一気に180前後に跳ね上がった。
たたき起こされたおミニさんは、「ハイハイ起きてますよー」
と、お腹の中で活動する。

1時間測って、一度しか張らなかった。
今週末までに産まれなかったら来週の月曜入院。

でも、恥骨のウラまで頭も降りてきているし、
いい感じなんですけどねー、って。
がんばれ、私の子宮。おミニさんもきゅうくつそうだ。

でも体重は思ったより増えてなくて、まだ3192g。
胎盤の機能も低下してないから大丈夫。と言われて、ひと安心。

でも、41週と5日を越えると、
通常胎盤の機能も低下してくると言われているので、
「月曜から促進をして、ホップ・ジャンプで
 遅くとも水曜に出産って感じで行きましょう!」

「29日のうるう年は、皆さん気合が入ってるからか
1人も来なかったんですよおー。」
と、気合のグリグリと子宮口がやわらかくなる薬を塗られた。

先生、頼もしいなあ。
ここ1週間なかなか陣痛が来なくて、いらいら悶々してたけど、
なんだかスッキリ安心できた。

昨日のグリグリもあって、股間節がかなり痛いけど、
できれば今週中に自然に産めるように、
もうちょっとだけがんばる。

2008年3月4日火曜日

陣痛待ち部

40w2d
予定日を過ぎて、今日は検診の日。
NSTの2回目を受けることになってしまった。
今日は録音できるかな。

先週末の金曜から、夫がずっと一緒。
なので、2人でせっせと競歩する。

先週は近場の北品川や五反田を歩いてたけど
私が毎日ソワソワ悶々としているので、 活動場所は
多摩川の土手、洗足池、日比谷公園に皇居と、
心が癒されるような場所へとバリエーションが拡がりつつある。

一応、病院に車で2,30分で行ける目安で。

おとといは、愛宕神社の石段をヒーハー言いながら上ってきた。

でも陣痛はこない。
今日の膣カンチョウに期待するしかない。
今週末が促進剤のタイムリミット。

予定日周辺はまだかまだかとナーバスな気分。
周りも早く会いたいのに申し訳ないようなネガティブな気分。
母たちは今のうちに休んどけと言ってくれるけど、休み飽きちゃった。

たまに走る痛みも、「お!来い!」と期待しては
あっというまにおさまってがっかり。

今なら間違いなく私はドMになれる。

2008年2月28日木曜日

友達カップルが来た。

昨日、ひまだなあと思っていたら夫から電話。
「今夜、イシちゃんたちがフルーツ持ってウチに来るっていうんだけど。」

はて。退屈だから人が来るのは歓迎!でも、まだ産んでないのに、はて。

イシちゃんは、夫と小1からずっと仲良しだ。
私とは、中3で同じクラスの仲間グループになって、
たまに集まって遊んだり飲んだりしながらそのまま大人になった。

去年。
派遣の仕事先で仲良くなった子が、
イシちゃんのタイプな気がしてたので、目の保養にでもなればと
その子をイシちゃんとの飲みに呼んでみた。

忘れもしない7月1日だ。この日は、朝おきて、
検査薬が陽性になって、妊娠がわかった日。

その夜、フライデーズで大好きなコロラドブルドックを
半分だけ飲んで、お酒とお別れをした。

イシちゃんと彼女は4歳の歳の差を越えて
本屋の話で意気投合して、1週間後には
お付き合いすることになったという報告が来た。

だから、おミニちゃんとイシちゃんカップルは、
同じ日にはじまって、ともに順調に育ってきた同級生。
4.5mmの袋の中からスタートして、いまやおミニは3kg越え。

感慨ぶかそうに、2人はお腹をなでなでとする。

イシちゃんカップル、仕事帰りに千疋屋の紙袋を持ってやってきた。
「いてもたってもいられなくてよおー」「思ったより元気でよかったよおー」
4人でしゃぶしゃぶをして、イチゴを食べて、ばか笑い。

そして、2人はガッツポーズしながら
「頑張って!」「何かあったら駆けつけるから!」「早退するから!」
と口々に力強く私たちを励まして帰っていった。

2人が帰ったあと、私がお皿を洗っている後ろで、夫がしみじみと
「やっぱ、千疋屋は違うよなあ、こんなのついてくるんだもんなあ」
と、紙のトレーを見つめてつぶやいていた。
そこには、おダシがはりついている。

それは、しゃぶしゃぶのシメに出したきしめんのカラです。

2008年2月27日水曜日

ロイヤルママミルクティー


近頃、一日1度のささやかな楽しみ。
ロイヤルママミルクティーを、大阪マグカップで飲む。

うすく淹れた紅茶に、
Eお母さんロイヤルミルクティー味と
ビオママを溶かして、オリゴ糖を入れたら
最後に泡立てた牛乳を乗っける。

Eお母さんはペプチドミルクなので乳とりすぎの心配がなくて、
こうして飲むとなかなかおいしい。

ビオママはどんなに頑張っても単品はきつい。。

こないだ、きなこ飴をつくるときに
きなこに混ぜて入れてみたらかろうじていけた。

紅茶のカフェインで鉄分が吸収しにくいので、
さらにビオママを足すことで鉄分を補っているつもり。



やっと、東京都の保育士登録が完了。
ついでに、区のかかりつけ保育園の登録も完了。

うー、今日はこれから何しよう。
ヒマだ。。。

2008年2月26日火曜日

夫と検診。

39w2d
おミニさんはまだお腹の中だ。窮屈そうにももも、と動く。

今日は夫も検診についてきてくれた。


1時間半ほど早めに、病院の駐車場に車を止めて広尾駅の周りでお昼。
ほんとに久しぶりのタイ料理。 

私はグリーンカレーつきのはるさめ炒めごはん。
夫はカレー炒めごはんつきのタイラーメン。

全体的に甘めで日本人むきに抑えた味つけだったので、
最近辛いものにお腹が弱い私には良かった。
Bangkok kitchen


お昼を食べて、明治屋でアイスにかけるチョコレートシロップを買って、
それでもまだ時間があったので、公園のベンチでいっぷく。
公園のベンチでジュースなんて、なんだか高校生のデートみたいで新鮮。

でも風が吹きすさんで顔に砂がガツンガツンかかるので早々と切り上げた。

夫が、「お世話になるかもしれないから」と病院の食堂を見に行った。
地下1階。エレベーターの案内板を見ると、
地下2階は霊安室と書いてある。ボタン押し間違い厳禁。

食堂のショーケースを見て、夫のテンションがガクっと下がる。

全体に埃っぽく色の変わったホットケーキ、そば、うどん、カレーライス。
しょうゆラーメンの同じサンプルが3つ並んでいる。
それぞれ、「みそ」「しょうゆ」「サンラータン」と札に解説が。

診察では、先生が「今週中に産めたらいいねー、刺激するよー」と
またもや鬼のグリグリ。また来週、はやだな。。

診察が終わると母からワクワクした声で電話がかかってきた。
「まだよー」と言ったら
「最初はたいてい遅れるんだから、急がなくていいんだよー」って。

夫と神社まで散歩した。

家に帰って、夫が出来上がったオムライスに
ケチャップでおミニの名前を書きあげた。

そこに、お姑がふんくふんくと鼻歌まじりに帰ってきた。
お姑は、 週3日、保育園で3月までの短期調理バイトをしている。
まだおミニの名は内緒にしてるので、夫が名前をケチャケチャと消した。

お姑がワクワクと「検診、どうだったー?」って。
「まだだからって、グリグリされたー」と言ったら、
「最初はたいてい遅れるんだから、大丈夫ー」って。

予定日は3月2日。
みんなでワクワクしてるよ。

2008年2月20日水曜日

寝不足の夕方に綴る。

38w3d
今日は、夜中の3時にトイレにおきて、そのまま7時まで
目が冴えて起きてた。1時間だけ眠って、8時におきて、
洗濯と巾着づくりと掃除機とひじきとぶり大根をやった。
目がらんらんとして、脳内が空洞なこの感じが久しぶり。

昨日は検診だった。おミニさんは3094gになった。
もう、ミニじゃなくておちびさんだね。
先生が、「もう産みたいね、お産が進むよう刺激するね」って、
またグリグリされた。子宮口も3cmだって。もうそろそろかな。

できるだけ早歩きするように、って言われたから散歩しようと思ってたけど、
今日は寝てないし疲れちゃったのでやめとく。

考えてみれば、私の子宮が押し出すんだから、
おミニさん出ておいで、じゃなくて、子宮よ、そろそろ出してもOKよ。
なのかな。

去年の今頃、赤ちゃんがほしかったので、毎月病院に通ってた。
検査を受けたり、注射を打ったり、薬を飲んだり、
それでも生理が来た日は、夫が腕をふるって、2人でしこたま飲んだ。

赤ちゃんが欲しくて、焦ったりつらかったり頭がいっぱいだったのから、
赤ちゃんを欲しがることよりも、夫とずっと楽しく歳をとっていけるように
毎日を過ごせることのほうが大事かも、って気がしてきた頃に
おミニさんを授かった。

私のタイノウは小さいんじゃないか、
本当に生きてるんだろうか、育つんだろうかって
はらはらしながら過ごして、ちょっと痛い気がしては、病院に駆け込んだ。

おミニさんが入っている4.5ミリの小さな袋を初めて見たとき、
初めて心拍を確認したとき、
5ヶ月に入って安定期に入ったとき、
6ヶ月検診で小さなちんちんを見たとき、
朝、ベッドの中で初めて胎動を感じたとき、
4D検診で福耳を見たとき、可愛くて愛しくてうれしかった。

もうすぐ会えると思うと、産むのがどんなに痛くても大丈夫な気がする。
とにかく、おミニさんを無事に産まなきゃ。

ずっと赤ちゃんがほしいと思ってたけど、違かった、って思う。

おミニさんは私たちのために産まれて来る「授かりもの」ではなくて、
短い期間の「お預かりもの」なんだって忘れないようしとく。

おミニさんがいつか大人になったときに、
毎日にたくさんの「面白い」があって、
何やっててもいいから、胸を張って生きてけるといい。

なんて。
まだまだ私も青二才。

2008年2月18日月曜日

本日の成果。


今日は、おくるみと授乳カバーを2枚ずつ作った。

作ろうと思ってたものは作り尽くして、あとはポーチや巾着くらいかなあ。
ポーチと巾着だと、半日で終わっちゃうな。

服も作りすぎたし。あとは何やろう。
退屈だなあ。。。

産褥ニッパーも母が買ってくれたし、出産準備もばんたん。
ばんたんが長く続くと、可愛いベビーベッドに、
ついついタオルを引っ掛けたりバッグ置き場にしてしまう。


今週半ばくらいからあったかくなるってアマタツが言ってたよ。
おミニさん、そろそろどうですか。

2008年2月14日木曜日

バレンタインデー

バレンタインデー。

夫は、もういいよ、いらないよ、って言ってたんだけど
TVで「今日はバレンタインデーです、、」って何度となく聞いているうちに、
簡単に洗脳されて、年に1度だもの、なんてウキウキしてきた。

17年前、初の手作りチョコを夫に渡した。
「VIPチョコ」を惜しげもなく5枚使った、重くて分厚いハート型。

最初に作るはずだったケーキが失敗して、
半泣きで夜中に家を抜け出して、ローソンでVIPチョコを買い占めた。
今でも覚えている。完成したのは夜中の3時、初めての徹夜だった。

告白する勇気がなくて、借りたCDのお礼、って渡した
 けど 普通気づくろ?重くて分厚い手作りのハート型。
夫は、そのチョコを友達へ譲渡しやがったのだった。なろうめ。

そんな過去もあって、毎年ついついあの時の仇を討つように、
またその一方で、
やーいやーい とっつかまってやんの という喜びがこみ上げて、
あの時と同じような、重くて分厚いハート型を作りたくなってしまう。
そして、去年もおととしもその前も、
かじりかけのチョコが冷蔵庫の隅で化石となった。

今年は食べきれそうなものを。

ホットケーキミックスに洋酒とココアを混ぜ込んで焼いて、
ハート型で抜いてから溶かしたチョコレートを塗って固める。

チョコがたくさん残ったので、あたためた生クリームにまぜて
生チョコを作る。固めたのをやっぱりハート型に抜く。

ハート型のマシュマロと白のデコペンで飾って完成。

今年も食べきれないだろうな。でも、チョコなんてやるの年に1度だもの。
型抜きした生チョコの端っこを、さらに四角く刻んで普通の生チョコに。
これはお姑とお舅におすそわけ。

2008年2月13日水曜日

出血。

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焦った。内診のあと、ヒリヒリしてたかと思ったら
血が出てた。まだ、ティッシュにピンク色にうっすら血がつく。
これはどうやら、「おしるし」ではなくて、「内診出血」のほうらしい。

今日は、やりたいことはいくつもあったんだけど、
朝ごはんのあと、気力がなかったので、おとなしく寝てた。

ふと気づいたら、足元にメイちゃんが丸まっていた。
子分のちろが、遠くで「めーい、めーーい」と
メイちゃんを探していた。メイちゃんは
「チッ」と寝返りを打って、眠り続けていた。

私も寝続けた。
何度か踏んだ気がする。

お昼すぎに起き上って、しばらくテレビを見てから
きのうから水に漬けていた金時豆を煮る。

姉がちょっと早めのお祝いに、と送ってくれた、フィスラーの圧力鍋。
まー!お高いんでしょ?これは活用しないと。

豆が崩れてあんこみたいになった。

2008年2月12日火曜日

NSTをうけた。

37w2d
今日は、NSTを受けた。
NSTは陣痛室で受けるのだが、少しの間廊下で待つ。
目の前の分娩室から苦しそうな声が聞こえてきた。

病院に向かうバスの中では元気にドンドコドンしていたおミニさんも、
はたりと動きを止めてビビる私たち親子。

陣痛室のベッド。
お腹にベルトを巻いて、胎動があったら押すボタンを握って40分。
トッコトッコとおミニさんの心拍が流れはじめる。

姉から、NSTのときの心拍音録音しとけばって言われてたんだけど
となりのとなりのベッドから、「イー ヒー」と痛がる声が聞こえてくる。
どなたか存じませんが、がんばれ!

向かいの分娩室から、「アー」と元気な赤ちゃんの声が聞こえてきた。
なんだかすごく感動。

ああ、わたしももうすぐここで「イー」ってして「アー」が聞けるんだ。
戦いだなあ。

おミニさんはすっかりおとなしくなり、ほとんど動かなくなった。
心拍とお腹の張りが、グラフになって出てくる。

このボタン、押したらどうなるんだろう。と思ったので
押してみたら、グラフに♪マーク。おちゃめ。

測り終わって、診察。
おミニさんは降りてきたそうで、子宮口は指一本分、0.5cm開いてるそうだ。
スクワットとウンチング座りが効いたかな。

それにしても、子宮口を見るのはまさに膣カンチョウ。
「かんばれ、がんばれー」と先生は言うけど来週もあると思うと気が重い。
しばらく痛みを引きずり、バス停まで「アダダダ」言いながら必死で歩いた。

週末はアイスを大人喰い。


プラート@秦野。
都内でプラート以上のアイス屋を探しているのに、
なかなか見つからない。 ひょっとしたら日本一かもしれない。
トリプル、かぼちゃ・海の精(塩)・ミントチョコ。


王様といちご@武蔵小山。
ジャンボパフェ。 
わたしたちの通った高校のすぐ近く、通称「さまイチ」。
お店のなかはなにも変わっておらず。

1人でジャンボパフェとスパゲッティをペロリが当たり前だった若さと、
ちっとも脈のなかった夫。
あの頃、私はルーズソックスに茶髪で夫は逆三角体型だった。
懐かしい日々を思い返しつつ。

30になった私たちには、やっぱりペロリとはいかなかったけど
お腹のおミニと3人で訪れることができて、感慨深かったです。


ナポリ@広尾
紫芋、生紫芋っぽかった。あずきはおいしかった。

2008年2月7日木曜日

近頃、夫の料理。

巨大ステーキ。 (約600g)
たまねぎとにんにくのすりおろしをポン酢でのばしたソース。                
          

タンタン麺。   


カルボナーラ。


フレンチトースト。


いつもごちそうさまです。

そして私は、夫のビールつぎが近頃上達。

2008年2月6日水曜日

バースプラン。

36w3d
2月に入り、久しぶりに無職になった。
ひとりで、こんなに時間がたっぷり過ごせるのはあと少し。

日中は製作にうちこむ。おとといはマザーズバッグを作った。
↓参考にさせてもらったサイト。分かりやすくて2,3時間で完成。
http://nui.joyfullife.jp/archives/200607/29-0108.php

今日はサイズ70のTシャツを2枚。
胸に、苗字を漢字で刺繍してみました。ぷくく。

昨日、検診に行った。
助産師さんと面談。入院についての話をひととおり。
バースプランの用紙をもらう。当日までに記入しとくようにとのこと。

先生からは帝王切開の同意書をもらい、入院ベッドを確保してもらった。
おミニ、2727g。「あと4日経ったらいつでも産んでいいですよ」って。

いよいよだなあ。
病院から戻って、さっそくバースプランの用紙と向かい合う、

いよいよだなあ。

「どのようなお産をしたいと思っていますか」
赤ちゃんが少しでも怖い思いをしないように、                  なるべく静かにやさしく迎えてあげたい
「医師と助産師にどのようなことを望みますか」
・陣痛促進剤は使わないで欲しい
・上手く出てこないときには、吸引、鉗子分娩は絶対にしないで欲しい、
 帝王切開してほしい
・会陰切開はできれば麻酔をして欲しい(切る・縫うのが怖い)
・産後は可能な限り早く同室したい
・分娩前に浣腸をしておきたい、上手くできなかったら導尿もお願いしたい

・母乳が足りなければミルクを足したい
   
なぜならば!って根拠はなくて、強いて言うならフィーリングなんだけど。
とりあえず思いつく限りは書くだけ書いておいた。

2008年1月28日月曜日

入院の準備。

35w1d
土曜日、無事に夫婦の産前学級に参加してきた。
2週間前に日にち勘違いして、行きそびれたのだった。

13組参加してて、見る限りは皆、30代前半の同年代オーバー。
皆20前半で、浮いたらどうしようなんて思ってたのでほっとした。

お産ビデオを見て、体操をやって、
助産師さんがカミカミしながら
「私があなたを選びました」という詩を朗読してくれたりして、
病棟や分娩室を見学。ピンク色。

陣痛室と分娩室に聞きたいCDやMD持ってきて良いって。
モンゴル800の「あなたに」なんていいかも。
あーなーたーに 逢いたくてー逢いたくてー♪ って。
でも、段々「Ah 痛くてえええ」なんて
聞こえてきたりするんだ私は。

家に帰って、
病院でもらった入院準備リストを見ながら、
最終チェックして詰めなおす。

寝巻き 2組
バスタオル 2枚
洗面用具
産後ブラジャー 2枚
母乳パット 
赤ちゃんのお尻ふき用カット綿とタッパー

「別包みして、荷物の一番上に入れるもの」
和式の寝巻きまたは前が開くネグリジェ 1組
産褥ショーツ 3枚
お産ナプキンLサイズ 5枚
        Mサイズ 10枚
浴用タオル 2枚
ティッシュ 1箱
コップ   1つ
スリッパ 1組

先週IKEAで買ったジップロックで
下着類もカット綿も真空パック。ミニ圧縮袋として大活躍。

なんとか、ひとつのバッグに詰め込んで、
入院準備ボストン、タクシー乗車用のバスタオル添えが完成した。

2008年1月25日金曜日

ぐぐぐ・・・。胸が。

34w5d

急に芋が胸につまったように息ができなくなり、
グイっと飲みこむと、イヤーな生唾がでてくる。
ウカウカしてると、歯が溶けるんじゃないかって感じの胃液が戻ってくる。

これが妊娠中の胸焼けというものなのね。

たまに夕方になると焼けてたけど、
今日は朝からずっと焼け続けてる。
おミニさんがシンクロのように足を伸ばしているのでしょうか。

子宮が大きくなって胃を圧迫してるのは、
おミニさんがそれだけ大きくなってるから。
元気に育っているんだね。うれしいからがんばるわ。

もうだいぶ大きくなったけど、
まだ、外は寒いからもうしばらくはお腹の中でくるくるしてなね。

2008年1月22日火曜日

妊娠9ヶ月、あと1週間で退職。

34w2d

今日は、広尾病院で検診を受けてきた。

駅の近くにあるベーグル屋さんで
きなこホワイトチョコベーグルとシナモンアップルベーグルを買って、
11:00に事務所についた。

弁護士さん一人のこの小さな事務所で働き始めたのは、去年の6月半ば。
前の事務員さんが出産で辞めるので、かわりに私が入ったら 、
半月もしない7月のはじめに妊娠が判明。
妊娠を報告したら、次の週には先生の嫁が妊娠。

子宝菌?

赤ちゃんが欲しかったけど、なかなかできなかったから、
当分は仕事してレディースクリニックに通おうって思っていたんだけど。
申し訳なく伝えたら、先生も奥さんも、とても喜んでくれた。

7月初めに4ミリの袋に入っていたおミニさん、いまや2476g。

無事、次の事務員さんも決まって、来週いっぱいで退職。
ひさびさの専業主婦生活。
2月は、ママバッグにポーチ、おミニ服の製作に打ち込んで過ごそう。

ベーグルは、あんまり美味しくなかった。

おミニさんはお腹の中で、ゴリンゴリンしてる。

http://blogs.yahoo.co.jp/suppakarainogasuki/folder/26710.html?m=lc&p=2